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大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)1312号 判決

控訴人 糀谷トシヨ

右訴訟代理人弁護士 中村喜一

被控訴人 松田鷹枝

被控訴人 松田修

右両名訴訟代理人弁護士 阿部幸作

村田哲夫

佐古田英郎

主文

本件控訴および当審における請求の拡張に基づき、原判決中、控訴人の被控訴人松田鷹枝に対する請求に関する部分を次のとおり変更する。

被控訴人松田鷹枝は、別紙目録記載(1)ないし(6)の各土地につき、国に対して農地法八〇条に基づく売払いの申請をし、売払いがあったときは、その地目を宅地に変更したうえ、控訴人に対し、昭和二五年五月売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

被控訴人松田鷹枝は控訴人に対し金三五二万七、二〇〇円およびこれに対する昭和四九年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人の被控訴人松田鷹枝に対するその余の請求を棄却する。

被控訴人松田修に対する本件控訴および当審において拡張された控訴人の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、控訴人と被控訴人松田鷹枝との間においては、第一、二審を通じて、控訴人に生じた費用の五分の二を被控訴人松田鷹枝の負担、その余を各自の負担とし、控訴人と被控訴人松田修との間においては、当審における費用を控訴人の負担とする。

この判決中金員支払を命ずる部分は、控訴人において金一二〇万円の担保を供するときは、仮りにこれを執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、控訴人

原判決を取り消す。

被控訴人らは、別紙目録記載(1)ないし(6)の各土地につき、国に対し農地法八〇条による売払いの申請をなし、売払いがあったときは、地目をそれぞれ宅地に変更したうえ、控訴人に対し所有権移転登記手続をせよ。控訴人に対し、被控訴人松田鷹枝は金五一三万〇、五三三円、同松田修は金一、〇二六万一、〇六七円およびそれぞれこれに対する昭和四九年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

との判決および第三項につき仮執行の宣言。

二、被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二、当事者の主張および証拠関係は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一、控訴人の主張

(一)  原判決三枚目表一行目、七行目および一四行目に「農林大臣」とあるのを「国」と訂正する。

(二)  原判決摘示の請求原因五項の五行目「時価に」から同項の終りまでを次のとおり訂正する。

「価額に相当する損害を与えた。ところで、鑑定人木口勝彦の鑑定の結果によれば、別紙目録記載(ワ)の土地の価額は、右処分時においては、三五二万七、二〇〇円であったが、その後漸次騰貴し、右鑑定のなされた昭和四九年三月二〇日当時において、一、五三九万一、六〇〇円に達している。そして、被控訴人らは、発展途上の白浜温泉にある右土地が値上りしつつあることを、その処分当時においても予見していたかまたは予見しえたものであり、このことは、被控訴人修が、右処分前の昭和三六年七月八日、小作人の訴外小谷新一と、本件土地中別紙目録記載(1)ないし(5)の土地の売払いを受けることを謀って、その転売代金の分配の契約をした事実、また、同年一二月二〇日と昭和三七年三月五日との再度にわたり同被控訴人から本件土地の処分を委任された訴外竹上浩が、昭和三八年四月三〇日、同被控訴人の代理人として、訴外田中敏夫に右(1)ないし(5)の土地の売払いを受ける権利を代金七〇〇万円で売り渡して、右代金を受領したが、同被控訴人においては、右金額に不満があって、現実に右代金を手中にしなかったという事実などがあることからも、明らかである。したがって、被控訴人らは、控訴人に対し、前記の騰貴した土地の価額一、五三九万一、六〇〇円により、各自の相続分に応じて損害賠償の責に任ずべきである。

(三)  原判決摘示の請求原因六項の四行目「原告に対し」から六行目「昭和四〇年三月八日」までを次のとおり訂正し、請求の拡張をする。

「被控訴人鷹枝に対し前記金額の三分の一の五一三万〇、五三三円、同修に対し三分の二の一、〇二六万一、〇六七円ならびに右各金員に対する本訴口頭弁論終結の日の昭和四九年九月一〇日」。

(四)  控訴人は、本件土地をも含めて合計三、二六五坪の土地を買い受けた。

(イ) 亡松田操は、本件土地とその周辺の土地合計三、二六五坪の土地をホテル(翠松園)建設の敷地として宅地に整地したが、戦争のため、建設工事を一時中止していたところ、控訴人は被控訴人鷹枝の申出によりこの一団の敷地を買い取ったのであって、その一部を除外して買うのでは宅地としての利用に支障を生ずるのである。

(ロ) 本件売買契約のなされた昭和二五年五月当時、本件土地が買収された事実についてはいまだ登記簿に記載がなく、控訴人はその事実を知らなかった。

(ハ) 同月末頃右契約が成立し、被控訴人鷹枝は、権利証、操の白紙委任状、印鑑証明書等とともに操の実印を控訴人に交付してその自由な使用に委ね、控訴人はこれと引換えに代金二〇万円を支払ったが、同年七月一一日、登記申請書類を提出したところ、一団の土地のうち地目が農地であった本件土地は、国に買収されていて、これにつき所有権移転登記をなしえないことが判明した。

(ニ) 控訴人は右買収につき白浜町農業委員会に問いただしたところ、本件土地は白浜町の中心街にあって農地を創設することはできない土地であり、したがっていずれ払下げになるとの回答を得た。

(ホ) そこで、控訴人は、被控訴人鷹枝に対し、本件土地が買収されていたため登記ができないことおよび払下げの可能性があることを告げたところ、同被控訴人は、払下げの時期を待ってその時に登記を履行することとし、それまで操の実印を預けておくと述べたので、控訴人は右実印を引き続き預かっていたのである。

(五)(1)  被控訴人鷹枝は、操を代理して本件土地の売買契約を締結する正当な権限を有していた。操は、同被控訴人と別居していたが、その生活を助けるため、右ホテル建設の敷地を自由に処分させることとし、かねてから、実印および権利証等を同被控訴人に交付して、本件土地を処分する権限を付与していたのである。

(2)  仮りに被控訴人鷹枝に右代理権がなかったとしても、同被控訴人は、操の妻として日常の家事につき同人を代理する権限を有するものであり、同人から実印を交付されてこれを所持し、かつ、印鑑証明書等をも所持していたのであるから、控訴人において同被控訴人に本件土地売買の代理権があると信ずべき正当の理由があった。

(3)  仮りに右主張が理由がないとしても、無権代理人である被控訴人鷹枝は、本人を相続したことにより、本件売買が無権代理行為である旨を主張することは許されず、また、被控訴人修も、本件売買により生活の資源を得たのであるから、信義則上、その効果を否定することはできないものと解すべきである。

(六)(1)  本件売買契約は、停止条件付契約ではなく、単に所有権移転登記時期の不確定なものである。すでに売買代金も完済され、右登記手続のみが残されているにすぎないのである。

(2)  前記のとおり、本件土地はホテル敷地として整地されて、現況は宅地となっているものであり、したがって、国から売払いを受けたときは、ただちに地目を宅地に変更することができ、そのうえで所有権移転登記をすれば知事の許可を要しないのである。現に、被控訴人らは、昭和三九年三月二〇日、国から本件(7)の土地の売渡を受け、即日地目を宅地に変更して、同年五月四日白浜町にこれを売り渡している。

(3)  前述のとおり本件土地は、事実上は宅地で、かつ、白浜町の中心街にあって、これを農地とすることは条理上不可能であり、現に国も買収後その買収目的に供さずに、保留地として所持しているのである。このように買収目的に供しえない土地は、買収処分を取り消して、旧地主またはその一般承継人にこれを返還することが憲法二九条の精神に合致するゆえんであり、国も、その後、このような土地を旧地主またはその一般承継人に売り渡すべき旨の法律を制定するに至った。したがって、買収当時の法律に売払いの規定がなかったからといって、本件売買契約当時において、将来本件土地の売払いを受けることが不可能であったとはいえず、右契約は不能の停止条件を付したものではない。

(4)  農地法八〇条の規定のもとにおいては、買収農地を自作農の創設等の目的に供しないことを相当とする事実が生じた場合には、その旧所有者またはその一般承継人は、農林大臣の認定の有無にかかわらず、直接国に対し当該土地の売払いを求めることができ、右売払いは私法上の行為であることは、判例の示すところである。そして、本件のように買収土地が元来農地とするに適せず、買収の目的に供することを相当としないものであった場合には、国は、長期にわたり理由なくこれを保持することは許されず、売払いに応ずべきものである。したがって、控訴人が、本件土地の旧所有者の一般承継人である被控訴人らに対し、国に売払いの申請をなすよう求める請求は、正当である。

(5)  なお、制定当初の農地法八〇条には、旧地主の死亡した場合についての救済の規定はなかったが、その後の改正により、死亡した旧地主の所有土地をその一般承継人に売払う旨が規定されたから、本件土地の旧所有者である操の有していた売払請求権は、被控訴人ら主張のように、操の死亡によって消滅したものではなく、被控訴人らによって相続されたものと解すべきである。現に、被控訴人らが(7)の土地の払下を受けていること、前述のとおりである。

(七)(1)  消滅時効の起算日についての被控訴人らの主張は争う。本件売買契約における所有権移転登記の時期は、国からの売払いが可能となった時という不確定期限として定められたものであり、その期限は昭和三七年七月一日農地法八〇条の改正規定が施行されて旧地主の一般承継人にも売払い請求権が認められた時に到来したものと解すべきであるから、原判決事実欄再抗弁(三)(2)記載のとおり、本訴提起により消滅時効は中断された。

(2)  原判決四枚目裏の三行目以下と一二行目以下とにそれぞれ「昭和三一年一〇月一〇日ごろ」とあるのは誤記につき、いずれも「昭和三一年一二月一〇日頃」と訂正する。

控訴人は、同日頃、和歌山県知事宛の小作調停申立書二通(甲第八号証、第二七号証)を作成して被控訴人らの署名を求めたところ、被控訴人鷹枝において同修の承諾のもとに修の署名捺印をして控訴人にこれを交付したのであり、右調停申立は、被控訴人らが国から本件土地の売払いを受けて控訴人に所有権移転登記をするための前提としてなされたもので、被控訴人らもその趣旨を認めて右申立書に署名したのであるから、これによって被控訴人らは控訴人に対する債務を承認したものと解すべきである。右申立が却下され、白浜町農業委員会から右申立書が理由を付した書面(甲第九号証)を添えて被控訴人修に返送されたところ、被控訴人らが控訴人に右各書面を届けた事実、さらに被控訴人らが本件土地中目録(7)の土地を白浜町に売り渡したとき、その代金中八〇万円を訴外長谷川清太郎方に持参して控訴人に陳謝しようとした事実などによっても、右のとおり債務の承認があったことが明らかである。

二、被控訴人らの主張

(一)  控訴人と被控訴人鷹枝との間に土地売買の話が始まったのは昭和二五年五月初め頃であるが、売買契約が成立したのは同年七月五日であり、その間に、控訴人は、本件土地が国に買収されて売買の目的となしえないものであることを知ったため、本件土地を除外し、他の土地についてのみ売買契約を締結したのである。当時買収の登記が経由されていなかったとしても、農地を買い受ける者は農地法の関係をまず考えるのが常識であり、少し調査すれば買収の事実はすぐわかることであるから、控訴人も右事実を知っていたとみるべきである。

(二)  被控訴人鷹枝は操所有の土地を売買する権限を与えられてはいなかった。原判決の認定によっても、操が、いつ、どこで、被控訴人鷹枝に代理権を与えたか明らかでないが、実際は、操は、昭和一三、四年頃から被控訴人母子と別居し、これを放置して顧みず、その後死に至るまで一度も被控訴人鷹枝と会っていないのであり、しかも所有の土地はすべて国に買収されて全財産を失ったものと思い込んでいたのであるから、土地の売買を任せることはありえない。本件売買契約は、右のような事情を知悉する控訴人が、本件土地等の存在を知り、たまたま操の印鑑が残置されていたのを奇貨とし、被控訴人鷹枝にこれを冒用させて締結したものである。

(三)(1)  農地の売買は県知事の許可がなければ所有権移転の効果を生じないものであり、しかも本件土地はすでに国に買収されていたのであるから、本件売買契約は、操が、将来国から売払いを受けうる時期が到来したときに、その売払いを受けて、しかるのちに控訴人に売渡すことを約した停止条件付売買契約である。しかるに、当時においては、法令上買収農地を元の所有者に払い下げるごとき規定はなく、一般に農地法の制定、改正を予想することも困難な情勢にあったから、操が本件土地の売払いを受けることは社会観念上不能であって、本件売買契約は不能の停止条件を付したものである。

(2)  本件土地の売買に県知事の許可を要しない旨の控訴人の主張は争う。目録(7)の土地を白浜町に売り渡したことについては、地方公共団体が農地を取得するには知事の許可を要しないことは農地法五条一項四号、同法施行規則七条六項の定めるところであるから、控訴人の主張はあたらない。

(3)  改正前の農地法八〇条二項、同法施行令一八条一号によれば、旧所有者が死亡した場合には国は買収農地の売払い義務を負わないものとされていた。すなわち、控訴人主張のような約定があったとしても、これに基づく操の債務は昭和二七年一〇月一八日、同人の死亡によって消滅したものであり、同月二一日施行された同法施行令一八条一号により、被控訴人らには売払いを受ける適格がないことが確認されたものである。したがって、昭和三七年五月一一日公布の改正農地法八〇条において売払いの適格者に旧所有者の一般承継人が加えられ、被控訴人らにおいて売払いを受ける可能性を有するに至ったとはいえ、被控訴人らの右売払いを受けうる適格は、操の適格を相続により承継して得たものではなく、法によって新たに与えられたものであるから、いったん消滅した操の控訴人に対する契約上の債務が復活して被控訴人らにより承継されるものではなく、被控訴人らは控訴人に対して控訴人主張の債務を負担していない。

(四)(1)  原判決事実摘示中の抗弁二項(六枚目裏七行目から同末行まで)を次のとおり訂正する。

「仮りに控訴人主張の契約が成立していたとしても、右契約に基づき控訴人が操ないし被控訴人らに対し本件土地につき所有権移転を求める権利は、昭和二五年五月頃売買契約を締結した時から行使しうるものであったから、遅くとも同年六月一日から起算し一〇年を経た昭和三五年五月末日の経過をもって、右請求権につき消滅時効が完成した。」

(2)  控訴人が時効中断事由について主張する調停申立書(甲第八号証、第二七号証)の被控訴人修の署名部分は、同鷹枝の記載したものではない。鑑定人井上直弘の鑑定の結果によっても、被控訴人鷹枝の筆蹟は、二行目の「大阪市住吉区我孫子町四ノ八四」の記載と四行目の「松田修」の氏名の部分のみで、その他は全部他の者の筆蹟によるというのであるが、行の配置からみて、そのような記載をするのは疑わしく、また、松田修名下の印影は控訴人の保管していた操の印鑑によるものであるから、右部分が被控訴人鷹枝によって記載されたものとみるべきではない。のみならず、仮りに右部分の記載が同被控訴人の手によるものとしても、被控訴人修の不知の間にその名を冒用したものであるし、文言の配置からみて、調停申請の文言が先に書いてあってそれを読んだうえで前記の地番と氏名を書きこんだものとは考えられない。しかも、右書面には、被控訴人らの控訴人に対する債務を承認するような文言は存在しない。したがって、右書面の作成交付による債務承認の主張は失当である。

三、証拠関係≪省略≫

理由

一、本件土地がもと松田操の所有に属していたところ、昭和二二年中に自作農創設特別措置法に基づいて国に買収された事実は、当事者間に争いがなく、昭和二五年五月頃、少なくとも操所有の山林五筆(白浜町字白島一一五五番の五ほか四筆)につき、操の妻の被控訴人松田鷹枝が操の代理人として控訴人との間に売買契約を締結した事実は、被控訴人らの明らかに争わないところであり、≪証拠省略≫によれば、右山林五筆につき、同年七月一一日、操から訴外長谷川清太郎へ同月五日付売買を原因とする所有権移転登記がなされている事実が認められる。

二、≪証拠省略≫によれば、本件土地と前記山林五筆とは隣接した土地で、松田操は昭和九年にこれを一括して白浜温泉土地株式会社から買い受け、その後旅館を建築すべくその全部を宅地として整地したが、戦争のため建築を中止していたこと、被控訴人鷹枝は、昭和二五年五月頃、控訴人に本件土地および右山林五筆を一括して代金二〇万円で売り渡す契約をして、代金全額を受領し、操の実印を控訴人に託して所有権移転登記手続を委ねたこと、しかるに、前記のとおり本件土地はすでに国に買収されていたもので、昭和二四年九月一六日付で農林省のための所有権取得登記の嘱託がなされていたが、控訴人が登記申請に着手しようとした際に右買収の事実が判明して、本件土地については登記をなしえず、山林五筆については、控訴人が女性であるために転売等の際に不利になることをおそれ知人の長谷川清太郎の名を借りて、前記登記を了したことが認められる。≪証拠省略≫中右認定に反する部分は信用することができず、そのほかに、右認定に反して、本件売買契約当時すでに買収ずみの事実が控訴人に判明していたため本件土地を売買の対象から除外した旨の被控訴人ら主張の事実を認めるべき資料はない。

三、≪証拠省略≫によれば、松田操は、昭和一三年頃から妻の被控訴人鷹枝および子の同修と別居して他の女性と同棲し、昭和二五年当時、操と被控訴人鷹枝との間にはまったく往来がなく、同被控訴人は飲食店営業をして自活していたこと、操は、実印を被控訴人鷹枝のもとに置いたままにし、自己所有の不動産の管理等をも一切顧みることがなかったこと、本件売買契約に際し、被控訴人鷹枝は、操の右実印を用いて必要書類を作成し、かつ、登記手続のため控訴人に右実印を託したが、控訴人は、親類である同被控訴人と操との別居の事実を知悉しながら、操自身について売買の意思の有無を確認しなかったこと、以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

しかし、右のような事実があったからといって、操が本件土地および前記山林五筆についての処分の権限を包括的に被控訴人鷹枝に与えていたものと推認することは相当でなく、そのほかに、同被控訴人が操を代理して本件売買契約を締結する権限を有していたことを認めるに足りる証拠はない。

四、控訴人は、夫婦の日常家事の行為の権限を基本代理権とする表見代理の成立を主張する。しかし、前項認定の事実によれば、被控訴人鷹枝と操とは、長期間別居し、生計を異にしていたものであって、当時、夫婦の共同生活は破綻に帰していたものと推認されるのであるから、夫婦の日常の家事に属する行為はありえないものと解すべきである。のみならず、日常家事に関する代理権を基本代理権として、民法一一〇条の類推適用による表見代理が成立するためには、当該越権行為の相手方において、右行為が夫婦の日常家事に関する法律行為に属すると信ずるにつき、正当の理由があることを必要とするものと解すべきところ(最高裁昭和四三年(オ)第九七一号同四四年一二月一八日第一小法廷判決・民集二三巻一二号二四七六頁参照)、たとえ生計の資を得る目的に出たものであっても、本件売買契約のように多数の土地を処分することをもって、日常の家事に属するものと通常考えられるものではないし、しかも、前記のように、控訴人において操夫婦が別居している事実を知っていたものと認められる以上、控訴人が被控訴人鷹枝のした本件売買契約の締結をもって日常の家事の範囲に属する行為と信じたとしても、このように信ずるにつき正当の理由があるものということはできない。したがって、控訴人のこの点の主張は理由がない。

五、したがって、本件売買契約は被控訴人鷹枝の無権代理行為というべきである。

(一)  右契約の本人である操が昭和二七年一〇月一八日死亡し、被控訴人らがこれを共同相続した事実は当事者間に争いがなく、被控訴人修が本人の相続人として無権代理行為の追認を拒絶していることは、弁論の全趣旨に明らかであり(なお、後述のとおり、甲第八号証、第二七号証の作成・交付にも、同被控訴人は関与していないものと認められ、これによって追認の意思表示を認めることはできない)、同被控訴人が自ら締結に関与しなかった本件売買契約により、結果的に生計の資を得たことがあったとしても、控訴人主張のように、追認拒絶がただちに信義則に反するものと解することはできないから、同被控訴人は、本件売買契約によっては何らの責任を負わないものと解すべきである。

(二)  しかし、無権代理人である被控訴人鷹枝は、その行為の相手方である控訴人に対し、民法一一七条一項による責任を負うべきであり、控訴人の同被控訴人に対する本訴請求は、同条同項による履行を選択してその請求をする趣旨を含むものと解される。なお、控訴人が被控訴人鷹枝に代理権のないことを知っていたかまたは知らないことにつき過失があったものと認めるに足りる証拠はない(前記三、四項認定の事実も、この点の過失の存在を認めるのに十分なものではない)から、右規定に基づく責任の発生は妨げられないし、同被控訴人が操の共同相続人の一人であり、かつ、他の共同相続人である被控訴人修が追認を拒絶しているという事情は、被控訴人鷹枝の無権代理人としての責任にただちに消長を来たすものではないと解すべきである。したがって、被控訴人鷹枝は、自己と控訴人との間に本件売買契約が成立して自ら売主の地位に立った場合と同様に、控訴人に対して右契約上の責任を負い、履行の可能な部分についてはこれを履行し、契約後に自己の責に帰すべき事由によって履行が不能に帰した部分については、履行に代わる損害賠償の責に任ずべきものと解するのが相当である。

六、本件売買契約当時、本件土地がすでに国に買収され、その登記嘱託がなされていたことによって、ただちに右契約中本件土地に関する部分が不能な事項を目的としたものとして無効となるものと解することはできない。≪証拠省略≫によれば、控訴人は、前記のとおり本件売買契約当時は本件土地の買収の事実を知らなかったが、右事実が判明したのち、白浜町農地委員会に問い合わせ、同委員会書記菊原徳右衛門らから、本件土地が立地条件上農地に必ずしも適さずいずれ払下げになる可能性がある旨の答えを得たので、被控訴人鷹枝にその旨を告げたところ、同被控訴人は払下げになったら登記する旨述べて、操の実印をそのまま控訴人に預けていたことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫。このような事実をも考慮するならば、本件売買契約中本件土地に関する部分がその売払いを受けることを停止条件としたものと認めることはできず、他人の物の売買として成立し、契約成立後、売主において、本件土地の所有権を取得してこれを買主に移転すべき契約上の義務を履行する旨を約したものとみるべきである。そして、当時右払下げに関する法律の規定が存在しなかったという一事をもって、本件土地の所有権取得が客観的に不可能であったということはできず、しかも、現在においては、被控訴人鷹枝は、農地法八〇条二項所定の買収前の所有者の一般承継人として売払いを受ける適格を有するものであって、その間における同法の制定および改正の経過が被控訴人ら主張のようなものであることおよび被控訴人鷹枝の右適格が旧所有者の地位を承継したことによるものかどうかということは、同被控訴人の契約履行義務を何ら左右するものではないというべきである。

七、無権代理人の履行責任についての消滅時効の起算日をどのように定めるかは、疑問の余地があるが、一応被控訴人ら主張のとおり昭和二五年六月一日から時効が進行を始めるものとして、以下、控訴人主張の時効中断事由について判断する。

≪証拠省略≫によれば、控訴人は、被控訴人らが国から本件土地の払下げを受けて、その所有権を控訴人に移転するためには、まず、その頃本件土地を畑として耕作していた第三者からその明渡を受ける必要があると考え、右第三者に交渉したが応じられなかったので、和歌山県知事に農地明渡の調停を申し立てることとし、昭和三一年一二月頃、訴外岡崎某に本文を書いて貰った調停申立書(甲第八号証、第二七号証)を被控訴人鷹枝に示して署名押印を求めたところ、同被控訴人は、右書面の「住所」と記した下の空欄に「大阪市住吉区我孫子町四ノ八四」と、また、「松田操相続人」と記した部分に続く空欄に「松田修」とそれぞれ記入し、控訴人に預けてあった操の実印を用いて右「松田修」の名下に押印し、控訴人に同書面を交付したこと、そこで、控訴人は右申立書を白浜町農業委員会を通じて和歌山県知事に提出したが、調停をすることができない旨理由書(甲第九号証)を添付して右申立書が被控訴人修宛に返送されたので、被控訴人鷹枝は再びこれを控訴人に交付したこと、しかし、このような経過は被控訴人修の関知するところではなかったこと、以上の事実を認めることができる。≪証拠判断省略≫そして、右のとおり、控訴人が右調停申立書に被控訴人らの署名押印を求めたのは、本件売買契約に基づき本件土地の所有権の移転を受ける目的によるものであることが明らかであり、被控訴人鷹枝もその趣旨を了解してこれに応じたものと推認されるのであるから、同被控訴人は、これにより、控訴人に対し本件売買契約に基づき本件土地の所有権を移転すべき義務を負っていることを認める意思を表示したものとみるべきであって、債務の承認があったものと解するのが相当であり、控訴人の時効中断の主張は理由がある。

八、≪証拠省略≫によれば、本件土地中別紙目録(1)ないし(6)の土地は、いまだ第三者に売渡処分がなされず国の所有のままとなっており、かつ、その現況は耕作に供されていない空地であって、宅地として利用するのを適当とし、自創法に基づく買収の目的に供しないことを相当とする状況にあるものと認められるから、被控訴人鷹枝は、農地法八〇条に基づき、国に対し右各土地の売払いを求めることができ、売払いを受けたときは、地目を宅地に変更したうえ、控訴人に所有権移転登記をすることが可能であって、控訴人に対しその義務を負うものというべきである。したがって、右義務の履行を求める控訴人の請求は理由がある。

九、本件土地中別紙目録記載(7)の土地につき、畑から宅地に地目変更がなされたうえ、被控訴人らが、昭和三九年五月一日、被控訴人修名義により国からその売払いを受け、同月四日、白浜町に売り渡してその旨の登記を経由した事実は当事者間に争いがない。そして、被控訴人両名が親子で、操の共同相続人であることを考えれば、被控訴人鷹枝が右土地につき控訴人に対する本件売買契約上の義務を履行することは、当時まで可能であったが、同年五月四日に不能に帰したものであって、右不能は、同被控訴人の責に帰すべからざる事由によるものとは認められないというべきであり、当審鑑定人木口勝彦の鑑定の結果によれば、右土地の右履行不能時における価額は三五二万七、二〇〇円であったと認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はないから、同被控訴人は、控訴人に対し履行に代わる損害の賠償として右金額を支払わなければならない。

なお、債務の目的物が処分されて債務が履行不能となった後も、その目的物の価格が騰貴を続けているという特別の事情があり、かつ、債務者が、履行不能時において、右のような特別の事情を知っていたかまたはこれを知りえた場合には、債権者は、債務者に対し、その目的物の騰貴した現在の価格を基準として算定した損害額の賠償を請求しうるものと解すべきところ、右鑑定の結果によれば、右(7)の土地の昭和四九年三月二〇日当時の価格は、一、五三九万一、六〇〇円であるというのであり、当審口頭弁論終結時の価格も右金額を下らないものと推認される。しかし、昭和三九年五月当時、一般に土地価格が騰貴する傾向にあったことは周知の事実であるとしても、被控訴人鷹枝において、本件土地の価格がその後右のような額にまで高騰すべきことを知っていたかまたは知りうべき状況にあった事実を認めるに足りる証拠はなく(仮りに控訴人主張のように、被控訴人修が別紙目録記載(1)ないし(5)の土地の処分を企てた事実があったとしても、被控訴人鷹枝において右のような土地価格の変動についての特別事情を予見しえたことを推認するに足りない)、右騰貴した価格による損害賠償義務を同被控訴人に負担させることは相当でないものというべきである。

したがって、被控訴人鷹枝は、控訴人に対し、前記三五二万七、二〇〇円の損害賠償を支払うべき義務があり(この義務は操の相続人としての相続分により分割されるものでないことはいうまでもない)、同被控訴人に対して金員の支払を求める請求(当審において拡張された部分を含む)は、右金額およびこれに対する当審口頭弁論終結の日の昭和四九年九月一〇日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるが、その余の部分は失当である。

一〇、よって、被控訴人鷹枝に対する本件控訴および当審において拡張された請求は、以上の限度で理由があるから、原判決中同被控訴人に関する部分を変更して、控訴人の請求を一部認容し、被控訴人修に対する控訴および当審における請求は理由がないから、これを棄却することとし、民訴法三八六条、三八四条、九六条、九五条、八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大野千里 裁判官 野田宏 中田耕三)

〈以下省略〉

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